大分県立大分上野丘高等学校同窓会ホームページ<公開版>

『ウエルカム先輩講座に参加して』(パート2)

(2012.02.24 掲載)

『ウエルカム先輩講座に参加して』(パート2

 

緒方俊一(27期)

 

おがた泌尿器科医院 院長

 

=続いて教室での独演会=

 

 パワーポイントを持ち込んで小一時間の独演会がありました。

緒方氏 写真3.JPG医学部進学希望の子供たちが対象とありましたので、医学部に進学したら何が起きるのか、医学部を卒業したら何が求められるのか、医者の生活がどんなものなのか説明しました。いろいろな医者がいる事と、意外に医者は辛い職業である理由を具体的にお知らせしました。もっとも私の世代の医師と現在の医師の間には全く違った価値観があり、一般の方に近い生活を希望する医師が増えてきてはいるようです。今回は一方的に私が思う「患者さんから期待される医師像」の話をしました。これから医師になろうとする高校生にはそれを理解した上で、それでも医者になりたいのかとも問いかけました。

 一方、医師の世界に浸っていると、医師には余り要求されない「社会性」がいかに人生を過ごすことに大事かを忘れてしまいます。社会的な位置が高いように思われがちな医者が果たす社会的役割は想像以上に小さい事という事に気づかない医師が多い事を話しました。要は、どんな職業を選んでも人に返すものが多い人ほど素敵な人生を過せるという事でしかないのですが。

もう一つ、震災の話を高校生に聞いてもらいました。私は、 2011311日の震災後、325日に石巻市立蛇田中学校と青葉中学校、そして東松島市の浜市小学校を訪ねました。当時、宮城県や仙台市、石巻市の災害対策本部は機能がほとんど停止していました。新聞報道に、避難所で死者が出ており弱者である乳幼児の健康に不安が出ているという事でしたので赤ちゃんを助けて疎開させる目的でバスに支援物資を載せて訪問しました。実際には、高速道路は緊急車両のみの通行で、燃料不足、タイヤのパンクなどの障害と、まだしばしば震度5程度の余震が続いておりほとんどのボランティアはこの時期には被災地に到達できていません。その後、浜市小学校と、相川、橋浦、吉浜の3か所の保育所に支援 を継続して行っています。6月には夏の準備に冷蔵庫、洗濯 機、扇風機をそれぞれ20~30台運び、9月には冬の準備にストーブを運び、全てが水没した相川保育所の運動会開催の手伝いをしました。12月には浜市小学校の先生方と酒を飲みかわしながら被災地の現在の状況を聞いてきました。仮設住宅や、石巻市での災害支援の状況を手に入れることができました。そんな支援の話を高校生に20分ほどしました。311日テレビで、多くの皆さんと同じようにCGかと見間違うような津波に流されるいろいろなものを見ました。驚くべき大きな災害であることはわかりましたが、その全貌を理解することができませんでした。

 私自身はボランティア活動にある種の違和感を持っていましたのでまさか自分が被災地に行こうとは思っていませんでした。艱難辛苦汝を玉にする、自助自立の精神が基本です。しかし、数百年に一度ともいわれるこの震災を体験することはとても重要で、何よりも自分自身で目の当たりにしないと納得できなくて飛び出すように被災地に向かいました。そこで得た経験は未知の物であり、社会に対する不信感でした。テレビや新聞、インターネットの情報に嘘はありませんが、真実ではありません。赤十字に集められた義援金が6か月も貯金されている事や、赤十字から派遣された医師看護師が避難所でどんな支援を行っていたのか。硬直した行政が被災の時にどのような動きをしたのか。政治家や政府が何を見て政策を作っているのか。高校生には最終的に頼りになるものは自分達の知恵でしかない事を話しました。

 

 =まとめ=

 今回の上野が丘高校での講演以前に中学生時代の母校である南大分中学校でも震災支援報告の機会をいただきました。いずれの子供たちに共通した話をしたのは、これから経済的困窮する時代が来ます。辛い時代が来るというよりは次の世代を鍛えるのに良い時代が来るという事です。中学生や高校生の彼らは私の話に退屈することなく時に目を輝かせて話に聞き入っていました。若い人たちは未熟であるがゆえに辛さに強く、冒険をすることができます。3月には佐伯鶴城高校で同じように話をさせていただく事になりました。次の世代を育てることに関わりあう事が私のこれからの夢です。

 

緒方氏 写真4.jpg