大分県立大分上野丘高等学校同窓会ホームページ<公開版>

一世紀の青春「大中・上野丘高物語」より

(2012.10.23 掲載)

プロローグ

 

新しい時代の糧に

 

 

戦後編

 

そして終戦。悪夢は去った。昭和二十三年、大分中は県立第一高女、同第二高女などを統合、男女共学がスタートする。校名も県立上野丘高と改称され、新しい学園へ生まれ変わった。「男子生徒の素行が目に見えて良くなった」と、新聞に書かれたのがこのころ。しだいにほほえましい共学風景が芽ばえていった。

 昭和三十三年の全国高校野球県予選決勝。上野丘野球部は、2―0で迎えた最終回に奇跡の大逆転で中津東を下して優勝、甲子園出場をつかんだ。グラウンドに殺到する学友。応援旗を打ちふり、狂喜乱舞のスタンド。戦争の傷はすっかりいえた。

 だが一方で、厳しい受験戦争が台頭する。上野丘高は平日八時間授業という猛烈指導で、日本有数の進学校に成長した。その栄光の陰には、不審火で校舎をほぼ全焼するあ(昭和三十六年)という不幸な出来事も忘れられない。このような進学教育編重の反省から、四十八年には、合同選抜制へ。

 「上野丘はすっかり変わった。大中の面影はもうないのではないか」・・・・古い大中のOBからよく耳にする。

だが、本当に伝統の熱い血潮は失われたのか。五十年十月、同校の九十周年式典に駆けつけた後藤文夫はこう語っている。「母校の風情は確かに変わった。だが南に仰ぎ見る霊山のたたずまいは、遠い昔そのままではないか」と。

「起きて千余のわが健児、豊山豊水とこしえに、待てる英雄誰たるか、持てる豪傑誰たるか」

・・・・。大中校歌に歌いあげたこの"大中魂"は、いまなお生徒たちの意識の底流に、脈々と流れ続けているのではなかろうか。

 

一世紀の青春「大中・上野丘高物語」

1979年3月26日

著書 中川 茂