大分県立大分上野丘高等学校同窓会ホームページ<公開版>

一世紀の青春「大中・上野丘高物語」より

(2012.10.19 掲載)

プロローグ

 

新しい時代への糧に

 

黄金期

 

 大正期。それは、あらゆる面で大中の最も華やかな夢多かりし時代と言えよう。大正四年に七百五十人と増えた学校定員は、同十年には千人、同十五年は千二百人と拡大。学内は建設のつち音が絶えず、大分の街はバンカラ中学生であふれた。

 折しも世は大正デモクラシー。その余波を受け、大中では「卒業までにストライキをやりきらんと意気地がない」とさえ言われるしまつ。宝戒寺山門の阿弥陀堂で気勢をあげた"阿弥陀スト"は、安藤楢六、脇秀一ら三十一回生(大8卒)。柞原神社にこもって血判までしたのは、高山虔三、宮崎豊、林房雄らの三十三回生(大10卒)だった。その一人宮崎・元県美協会長は「いいこともやった。悪いこともした。のびのびと、本当に楽しい大中生活だった。」と回想する。

 また、当時は、スポーツの黄金期である。短距離の岡健次(大12卒)長距離の足立大助(大13卒)の両ホープを擁し、全県陸上競技大会は破竹の連勝、また連勝。宿敵師範を破るごとに、校歌「大空高く月澄みて・・・」が沸きあがる。その代わり師範に負けると悲憤慷慨。応援旗を焼き、泣きながら校歌を歌っては、雪辱を固く誓うのだった。「下級生も、上級生に、"泣け 泣かんか"と言われ、一緒に泣かされた」と語るのは小手川碩(大12卒)。

 

 

「一世紀の青春」 大中・上野丘高物語

 

1979年3月26日

著書 中川 茂