大分県立大分上野丘高等学校同窓会ホームページ<公開版>

一世紀の青春「大分・上野丘高物語」より

(2012.10.18 掲載)

一世紀の青春「大分・上野丘高物語」より

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興隆編     

 

「青の三筋に桜のごもん、歩く姿はナポレオン」。

久しく県下の青年のあこがれをかきたてた大中制服は、明治三十二年に制定された。席順はビリでも、田舎に帰れば鼻が高い。このころ杵築、中津、竹田、臼杵の各中学が開設されたが、それでも青の三筋を目指し、大中への入学希望者は増すばかり。

 萌芽(ほうが)期から成長期へ移り、学内もいくぶんゆとりと幅が出来たのだろう。各教師松本古村らの薫陶もあり、片多徳郎(明39卒)権藤種夫(明42卒)福田平八郎(23回生)菅一郎(明45卒)らの画家輩出。左翼理論家麻生久(明42卒)がいれば、右翼の黒幕には三浦義一(大5卒)。活躍の舞台と路線は違っても、過ごした青春は同じ。高崎山の"ウサギ狩り"やクリクリ山での昼メシだった。

 県下の草分けで、"野球"を始めたのがこの時代。グローブもスパイクもなく、素手、はだしで駆け回る"珍ベーズボール"。それでも九州は強かった。

 明治四十四年、大分に市制が施行された年は、同時に鉄道も大分へ延び、"風にも消えないランプ"こと電灯が登場。生徒たちはロウソクを求め、付近の物色して回らなくてもよくなった。

 

 

「一世紀の青春」大中・上野丘高校物語

1979 年3月26日

著者 中川 茂